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私立大日本政府 此事件を三百取締の県令に押し付けるには定めて大した無理もない様だ。ズツと以前片山潜藤田浪人鈴木楯夫等が私立大日本政府を設立して其看板を掲げた時には、擦つた揉んだの末道路取締規則違反に押し付けた。福田狂二の大日本帝国も其れで滅亡した。併し之れもよく規則を見ればチヤント余り不服の云へぬ様に出来て居つた。東京新聞が帝国言訳商会の広告や関ケ原大戦争の戦報を号外で出した時には詐欺取材でやられた。此詐欺には僕に異見かある。例のツマラヌ銀の記事だらうがと思ふて買ふたら、滑稽頤解く程の金の痛快皮肉文であつた時、何故詐欺取材が成立するか。 松林弁護士の検事局は私立検事局に相違ないが僕の法務局は只の法務局であつた。司法省の法務局は到底剽窃たるを免れぬが、僕の法務局が元祖法務局であつたか否かは議論がある。或は台湾の法務局が元祖だとも又海軍の法務局が元祖だともいふ。 上告専門所では大に頭脳を痛めた。僕の理想から云へば帝国上告院で。帝国上告院長山崎今朝彌の名に於て官報に、上告を望む向は相当の手続を経て至急願出べしとでも広告し、知らん顔をして居らふと思付いた時はソレコソ欣喜雀躍今だに手の舞ひ足の踊るを覚へたが、偖私かに考ふるに、コレでは事件一つだに来る虞れなしと思ひ、マヅ所長位で負けて仕舞ふた。折角の院長を辞して一代所長で通さねばならぬかと思へば、僕終生の恨事である。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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イタリア共和国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約 イタリア共和国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約(いたりあきょうわこくとだいにほんていこくかんのわしんならびにきほんてきかんけいにかんするじょうやく)とは、箱庭暦745年に署名された、イタリア共和国と大日本帝國との間の条約。通称、日伊基本条約、伊日和親条約など。特命全権大使の交換にはじまる国交開設や国民間の相互出入国を認めた。条約は、日本語及びイタリア語で二部づつ作成され、それぞれの外務省に保管されている。 1.条約の内容 条約は、前文と全5条からなる。第一条で両国の平和的関係を確認しており、相互の領土を承認したものとされる。 2.歴代特命全権大使 2-1.イタリア共和国駐箚大日本帝國特命全権大使 初代 大野家春 2-2.大日本帝國駐箚イタリア共和国特命全権大使 初代 ロマーネ・ロドリゲス 3.条約正文 イタリア共和国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約 イタリア共和国大統領並びに大日本帝国天皇陛下は、互いの和親を確認し、同国間の基本的関係を創設並びに確認するために和親並びに基本的関係に関する条約を締結するに決し、このために以下の者を全権委員として任命した。 イタリア共和国大統領 ロマーネ・ロドリゲス 大日本帝国天皇陛下 枢密顧問官 従二位勲三等 奈良秀次郎 外務大臣 従三位勲四等 伯爵 小村洋右 右各全権委員は互にその全権委任状を示し、有効なるものであると認めたる後以下の如く協定した。 第一条 両締約国は両国間に平和及友好の関係を維持し、相互の関係においては信義誠実の原則を指針とするものとする。 第二条 両締約国間に外交関係が開設される。また、両締約国は、両国政府により合意される場所に大使館を設置する。 二項 大使館の設置場所に関しては別に定めるものとす。 第三条 両締約国は、文化が民族の精神的基礎にあることを確認し、これがために互いの文化を尊重し、両締約国国民は相互に交流を増進する。 第四条 両締約国国民間の出入国並びに滞在に関しては、両締約国の定める法律に基づき以下の条件に適合する査証を認めるものとする。 1号 商用査証 2号 観光用査証 3号 家族滞在用査証 4号 就学用査証 5号 就労用査証 二項 両締約国国民の、一方における滞在に関しては、当該国当局の指導に従わなければならないものとする。 第五条 この条約は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにイタリア共和国ローマで交換されるものとする。この条約は、批准書の交換の日に効力を生ずる。 上証拠として各全権委員はイタリア語及び日本語を以てせる本条約各二通に署名調印せり。 箱庭暦745年、東京宮城内三の丸枢密院第二会議室に於て之を作成す。 イタリア共和国のために; ロマーネ・ロドリゲス 大日本帝國のために; 奈良秀次郎 伯爵 小村洋右
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959. earth 2011/06/05(日) 17 57 05 ※ネタです。戦後世界を妄想した結果できたネタです。 本編がこうなるかは保障できません。 西暦195×年。かつてカリフォルニア州と呼ばれたアメリカの有力州は大日本帝国カリフォルニア特別自治区として 生きながらえていた。白人達は黄色人種に支配されるという事態に恐怖したが、疫病、戦争から逃れるためには日本の統治 を受け入れるしかないと判断して、条件付ながら日本の支配下に入ることを受け入れた。 日本もまた欧州諸国に配慮するためにも、カリフォルニアの統治には神経を使っていた。また今村元帥が総司令官を務める 北米方面軍、草鹿大将が司令長官を務める北米方面艦隊(第7艦隊)による睨みもあって日本企業も安心して進出した。 これによってカリフォルニア経済は安定していた。 西海岸のほかの二州もカリフォルニアほどではないが、日本のバックアップによって北米のほかの地域に比べれば安定し ており、この三州は地獄とも言ってよい旧アメリカ合衆国領内では天国と言っても良かった。 だが天国があるとなれば、そこに難民が殺到するのは当然の流れであった。 「今日も旧アメリカ合衆国からの難民が流れ込んでくるか」 サンフランシスコに置かれた北米方面軍司令部では、夢幻会派の軍人達、自治政府顧問の高給官僚が憂鬱そうな顔で 話し合っていた。 「ああ。やせ衰えたご婦人、子供が多数だそうだ。アメリカ風邪にやられている人間もいるらしい」 「どうする?」 「難民キャンプにも限度がある。それに自治政府の連中は、かつての同胞をさっさと放り出せと煩い」 「……やってられないな。史実を知っていると」 「全くだ。あのアメリカがまるで第三世界みたいになるとは」 「それを言ったら世界中がそうだ。欧州列強はアフリカの植民地、アメリカ南部各州を搾取している。世界でまともな 地域のほうが少ない」 「内地の連中は、日本を新たな超大国だの何だのと持ち上げている。全くお目出度い連中だ。瓦礫と死体が積み重なった 世界で王様気取りなんて」 「まぁ夢幻会会合は現実的に物事を考えているから、何とかなるだろう。国民の暴走も辛うじて抑えられている」 「そうあって欲しいよ。威勢のいい政治家、自分本位なら良心から日本文化を押し付ける馬鹿が上層部なんて目もてられん」 「本格的に政治家に統帥権を渡して、帝国が帝国でなくなるのは何時の日になることやら」 「いや夢幻会内部でも馬鹿は居る。まぁ前の粛清のせいで組織の腐敗は抑えられているが……我々が率先してモラルと規律を 守らなければならない」 「判っている」 世界の三大国の一角、それも三大国の中で最も強力な軍事力と最高の科学力を持ち、今後、世界をリードするといわれる 大日本帝国。その帝国を支配するエリート達の悩みは尽きない。 だが外から見れば、そんなエリート達の悩みなどわかるはずがなかった。 羽振りのよさそうな日本人のエリート軍人、官僚を見て、カリフォルニア自治区市民は何でこんなことになったのかと自問自答 する日々だった。 960. earth 2011/06/05(日) 17 58 03 酒場では大勢の男が不平と不満を漏らしていた。 「黄色い猿に支配されるとはね。堕ちたもんだ」 「そういうな。日本企業に雇ってもらっているんだ。彼らがいなかったら嫁と息子を養えん」 「ふん」 「しかし何で、こんなことになってしまったんだろうな……」 「連邦政府と連邦軍の無能のせいだろう。知ってるだろう、ハワイ沖じゃあ日本の駆逐艦4隻沈めるのに、戦艦が9隻も 必要だったんだぜ。俺達納税者を馬鹿にしているにも程がある」 近くにいた旧米海軍関係者は首をすくめ、肩身が狭そうにする。だが男達は気にも留めない。 「おまけにジャップの飛行機なんてすぐに落せるなんて大言壮語しておいて、一方的にやられてる。 戦車だって同じだ。日本の戦車に良いようにやられて……情けない限りさ」 「それにジャップは俺達がレシプロ機を必死に作っているころに、ジェット機を作っていたんだ。あの津波がなくても 負けていた可能性があるだろう」 「俺達白人が後進国の黄色人種の国に技術力で負ける。全く信じがたいよ」 「だが、不平と不満ばかり言っていても仕方ないだろう。俺は息子を日本の大学に留学させるぞ。いつまでもカリフォルニアが 日本人の後塵を仰いでいていいわけがない。俺達は負けた。だが次の世代、いや次の世代で何とか逆転するんだ。 そのためには勝者から学ぶ必要がある」 「日本人から学ぶと?」 「そうだ。日本の大学は世界でも最高学府となっている。かつてのマサチューセッツにも劣りはしないだろう。 ここで学ばせるのは十分に価値があることだ。いや技術だけじゃない。政治、経済構造、優れた点を学ぶべきだ」 「お前は前向きだな」 「当たり前だ。昔の栄光に縋りつくのは欧州の人間だけだ。俺達はフロンティア精神を持ったアメリカ人だ。 国は滅んだ。だが俺はその誇りと精神まで失うつもりは無い」 しかし『アメリカ』と言う言葉に男達は顔を顰める。 彼らにとってアメリカ合衆国など、過去の遺物であり、今の事態を引き起こした元凶でしかない。 忌々しいことに彼らがまともに生活し、欧州人に露骨に白眼視されないのは『日本人』になっているからだった。ペストの亜種とも いうべきものを兵器にしていたという事実は、旧アメリカ人を排斥するには十分な理由だった。 「……でも国が滅んでなければ、俺達も日本人に支配されるなんて惨めな思いをしなくて済んだかもな」 「だな。はぁ、日本人は有頂天で、俺達みたいな悩みとは無縁だろうな」 「ああ。間違いない」 だが彼らは知らない。アメリカを滅ぼしたことで、逆に大きな負担を強要された日本帝国の指導部も頭を抱えていることを。 世の中、そんなに単純ではないことを。アメリカが滅んだこの世界では、誰もが頭を抱えつつも、より良い明日を求めてもがいていた。 あとがき 妄想と電波の神が降りてきたので書いてみました。 本編ではカリフォルニアを併合するとは限りません。まぁ無いとも言い切れませんが(爆)。 一種のIF世界と考えてください。 さて何とか本編を進めないと……。それでは失礼します。
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FC2動画 http //video.fc2.com/ 株式会社FC2(エフシーツー)が運営する無料の動画共有サービス! FC2動画の特徴 デジカメで撮影した動画はもちろん、ケータイで撮ったムービーも、そのままメール添付でアップロード! 携帯での閲覧再生にも対応。 wmv、mov、各種mpegファイルなども最大約100MBまで変換。 flv なら無変換でオリジナル画質そのままでアップロード。 FC2動画の最新情報 新着記事は見つかりませんでした。 アイドル 新着動画 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 A片新着動画 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 合計: - 今日: - 昨日: -
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[DNT]大日本帝国ONLINE.TEAM【前線部隊】本部 News 勝手に隊員を所属させてしまいましたので、 使用キャラ別に小隊を分けたいと考え中です。。 Event.News 交流戦をテストあとに予定。 第1小隊 ミッション回数【0】回 (一等兵BLACK REO) )「役に立ちたいから」 (一等兵ELIE) 「多く一緒に戦いたいと思ったからです。」 (伍長SSS(B)) 「もちろん戦いたいからですよ!」 第2小隊 ミッション回数【0】回 (一等兵HIROYUKI)「楽しく戦いたいからです」 (募集中!) (一等兵A/B,JR) 「交流戦をやりたいから」 第3小隊 ミッション回数【0】回 (元帥RYOUTU) 「元帥ですので^^;」 (大将SHINKI) 「純粋に対戦を楽しみたいから」 (伍長HUNK) 「仲間と一緒に戦いたいからです。」 第4小隊 ミッション回数【0】回 (新人兵TNINO) 「前線部隊参加理由を教えて下さい!」 (一等兵CHRISTMAS) 「多くの人と戦って強くなりたいからです!」 (新人兵Q.P) 「理由は交流戦などをやりたいからです」 第5小隊 ミッション回数【0】回 (新人兵 PANDA@) 「強くなりたいからです!」 (新人兵 KAMIKAZE) 「強くなることよりも、皆で楽しくやりたいからです。」 (新人兵 MATSU_)参加理由ゎみなさんと関わりを深めたいからです@w@ 第6小隊 ミッション回数【0】回 (新人兵ACR0SS) 「前線部隊参加理由を教えてください!」 (新人兵 ZEN MONK) 「前線部隊参加理由を教えてください!」 (募集中!)「前線部隊参加理由」 【前線部隊掲示板】 前線部隊参加理由ですか・・・そりゃあもちろん戦いたいからですよ! -- SSS(B) (2007-05-17 23 48 11) 前線希望理由はせっかくチームに入ったのでなるべく多く一緒に戦いたいと思ったからです。 -- 新人兵 ELIE (2007-05-18 23 06 10) 了解しました。 -- 元帥 RYOUTU (2007-05-19 10 58 01) 交流戦やりたいから -- 新人兵A/B,JR (2007-05-19 16 45 12) 役に立ちたいから -- 新人兵 BLACK REO (2007-05-19 18 07 48) 純粋に対戦を楽しみたいから -- 大将 SHINKI (2007-05-20 14 24 28) 楽しく戦いたいからです -- 新人兵 HIROYUKI (2007-05-20 18 23 00) 仲間と一緒に戦いたいからです。 -- 伍長 HUNK (2007-05-21 20 22 42) 修理でやってないんで・・・うずいてるからです!! -- 伍長majipo (2007-05-22 15 53 48) あと伍長への修正お願いします。 -- 伍長majipo (2007-05-22 15 56 48) 修正完了しました。申し訳ありません。。 -- 元帥 RYOTU (2007-05-22 17 16 48) 理由は多くの人と戦って強くなりたいからです! -- 一等兵 CHRISTMAS (2007-05-22 23 49 00) 理由は交流戦などをやりたいからです。 -- 新人兵BO-A (2007-05-23 18 50 23) 強くなりたいからです! -- PANDA@ (2007-06-03 18 40 15) 参加理由ゎみなさんと関わりを深めたいからです@w@ -- 新人兵 MATSU_ (2007-06-03 20 27 55) 参加理由は強くなることよりも、皆で楽しくやりたいからです。 -- 神風 (2007-06-04 13 08 31) 名前 コメント
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日本帝国の戦術機の運用法は、まず日本の国土の特徴として起伏の多い地形が挙げられる。そのため、帝国軍の戦術機はそうした環境の中での運用を考慮して急激な加減速にも耐えうる設計がなされている。また、(2001年当時だが)常に佐渡島と鉄源の両ハイヴからの侵攻に晒され、それらの排除を第一としていることから、戦術機に高い近接戦闘能力とハイヴへの突入能力を求める傾向が強い。突起物が多い独特の機体構造も、稼働時間向上のためにモーメントを利用した機動制御を行う狙いがある。 目次 帝国陸軍/本土防衛軍撃震(げきしん) 77式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE77/F-4J) 陽炎(かげろう) 89式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE89/F-15J) 不知火(しらぬい) 94式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE94)不知火 壱型丙(しらぬい いちがたへい) (TSF-TYPE94-1C) 吹雪(ふぶき) 97式戦術歩行高等練習機 (TST-TYPE97) 帝国斯衛軍瑞鶴(ずいかく) 82式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE82/F-4J改) 武御雷(たけみかづち) 00式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE00) 帝国陸軍/本土防衛軍 撃震(げきしん) 77式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE77/F-4J) 人類初の戦術機F-4ファントムの帝国軍仕様機。 1972年、F-4の導入が決定し1976年より富士教導隊にて試験運用が開始された。1977年に77式戦術歩行戦闘機 F-4j,撃震として実戦部隊への引き渡しが開始され、ユーラシア大陸からのBETA侵攻に備える西部方面部隊第8師団が優先的に配備された(後に九州戦線の主力として活躍する第8師団だが98年のBETA本土侵攻によって壊滅してしまう)。 帝国仕様の特徴として、長刀用に開発された背部兵装担架、近接格闘戦を重視する運用思想に対応した各関節とマニュピレータの強化が挙げられる。 運用性や信頼性は新型機より格段に安定しているため、長きにわたって人類戦力の中核を担っており、2001年時点でも拠点防衛などの任務で使用されている。 第一世代戦術機の設計思想は重装甲による防御を根底にしているが、BETAの苛烈な攻撃を見ると、後の第二・三世代戦術機の開発コンセプトの変更が頷ける。 陽炎(かげろう) 89式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE89/F-15J) 89年、初期段階で停滞した次期主力機の国産開発に、業を煮やした帝国国防省がF-15C イーグルの試験導入を決定。第二世代の傑作と言われた同機をライセンス生産し徹底研究する事で、頓挫寸前にあった国産第三世代機開発の技術的なブレイクスルーを図った。 この機体を研究することによって技術蓄積をした日本は不知火の開発に成功したが、その不知火の生産と配備が遅れたため、陽炎は「技術評価」の名目を外れ、帝国軍の実戦部隊にも多数配備されることになった。他国の第三世代機もF-15を生産し、技術面での参考にしている撃震に次ぐ傑作機。 主な変更点は戦術戦闘OSの刷新のほか、フレーム及び関節の材質強度や耐久力の向上、電磁伸縮炭素帯(カーボニック・アクチュエータ)の緩衝張力強化、帝国製・87式突撃砲の運用に伴う兵装担架の設計変更などである。 1987年、技術検証目的で12機を試験導入。 1989年、実戦部隊での運用開始。 1992年、調達数削減。 1999年、新規生産終了。 不知火(しらぬい) 94式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE94) 元々は、第一世代戦術機であるF-4J改 瑞鶴の技術情報を元に、河崎重工、富嶽重工、光菱重工の3社によって共同開発されるはずであったが、第二世代戦術機開発を経験していないためその開発は難航した。そのため帝国軍は先に第二世代戦術機F-15J 陽炎をライセンス生産。その技術蓄積を元に開発されたのがこの“不知火”である。 この機体では、新素材や複合材の開発により耐熱耐弾装甲を重要部に限定することが可能となり、可動性を向上すると共に機体を軽量化。その結果、機動性や整備性が従来機に比べて大幅に向上した。さらに機体表面には新開発の対レーザー蒸散塗膜加工が施されている。また、700km/hを超える速度で長距離噴射をする事が可能。(トータルイクリプス小説第一巻 朧月の衛士 第2話より) 順調に各部隊への配備が進んでいるが、運用が進むにつれて現場の衛士や整備兵から様々な要望がなされている。しかし、極めて困難な要求仕様を実現するため、量産機としては異例なほど突き詰めた設計がなされており、通常は考慮される発展性のための構造的余裕についても極限までそぎ落とされているため、その要望には答えられていない。 不知火 壱型丙(しらぬい いちがたへい) (TSF-TYPE94-1C) 既存戦術機強化計画の一環で開発された不知火の改造型。 壱型丙に施されているカラーリングは、フェリス・カモフラージュと呼ばれている。これは機体の形状や飛行速度、移動方向などを欺瞞するための迷彩塗装の一種で、物体を判別するのに視覚に頼らないBETAに対しては効果がないことが判明しているが、名残として使用され続けている。 将来の武装の大型化に備え、フレームと各部のアクチュエーターを強化。さらに機体から武装への電力供給を行えるようにするため、機体ジェネレーターを大型化。その副産物として、機体の駆動系出力も約15%向上した。だがジェネレーターの大型化は、当初の想定以上の機体稼働時間低下(燃費の悪化)を招いてしまう。また既存戦術機強化計画が、重装備化よりも運動性能を重視する方向に転換したため、この機体は100機にも満たないうちに生産中止となった。 現在はその少数の機体が、次世代機開発のためのデータ収集用として使用されている。また少しでも多くの機体出力を求め、燃費の悪さを運用方法でカバーできるベテラン衛士用に、一部部隊へも実戦配備されている。 F-15J陽炎のライセンス生産技術を基に開発された不知火は、機動性や射撃管制能力のみならず、稼働率、整備性の面でも非常に優秀な機体であった。その一方、要求仕様の高さゆえに冗長性の欠如という大きな欠点を抱えていた。不知火には将来的な改修の余地を確保されるために残される設計上の余裕がほとんど存在しない。これは近い将来、その性能が急速に陳腐化してしまうことを意味している。| そしてそれは、98年に行われた不知火・壱型丙の試験生産において、現実の問題となって開発者の前に立ちはだかった。主機出力の向上と兵装強化改修を前線の要望に従って強行した結果、稼働時間が極端に減少してしまったのである。メーカーは苦肉の策として専用OSを開発、燃料・出力系の電子制御によって何とか要求仕様を満たし、一応の体裁は整えたが、それは機動特性に深刻な副作用をもたらし、壱型丙を非常にピーキーで扱いづらい機体としてしまった。発注のキャンセルは最早時間の問題と思われたが、同年8月に発生した大規模BETA郡の本土上陸が壱型丙の運命に光をもたらした。大損害を被った兵力の補填として急遽100機弱が発注され、前線の精鋭部隊に配備されたのである。欠点に目を瞑れば、壱型丙の近接格闘能力や生存性は通常型に比して格段の差があるのは事実であり、それを補う腕を持つ衛士達は、むしろ不知火・壱型丙への搭乗を希望したという。(PROJECT PROMINENCE) 吹雪(ふぶき) 97式戦術歩行高等練習機 (TST-TYPE97) 帝国軍がF-15J 陽炎のライセンス生産で培った技術を基に、第三世代機の基礎技術研究の為に発展量産化した高等練習機。不知火の量産パーツ流用を前提に再設計され、97年に正式配備となった。不知火開発実験機6番目を改修・量産したため直系にあたる。その為、吹雪を“帝国初の純国産戦術機”であると根強く主張する軍関係者も一部いる。 練習機という扱いながらその性能は撃震に勝り、機体表面には不知火と同レベルの対レーザー蒸散塗膜加工が施されている。主機出力こそ低めであるが、武装を施せば実戦での使用も十分耐えられる。事実北方戦線では実戦部隊によって運用されている。 耐用年数が迫った撃震の代用機として、主機を換装して実戦配備する計画もある。 帝国斯衛軍 瑞鶴(ずいかく) 82式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE82/F-4J改) 1982年に配備が開始された77式戦術歩行戦闘機 撃震(F-4J ライセンス生産機)の改造機。将軍家の守護を主任務とする斯衛軍専用の機体として運動性の強化と軽量化を主眼に開発された。F-4の改造型としては、最も後期に開発された機体。武御雷と同様、整備性や生産性を犠牲にした性能の向上が図られている。 将軍家とそれを守護する斯衛が乗る機体であり、防衛任務だけではなく、「将軍家の人間は、自ら第一戦に立って臣民の模範となるべし」という思想から、帝国軍の攻撃的な作戦行動に加わることもある。 撃震よりも日本製パーツの割合が増しており、日本独自のレーザー警戒装置により、光線属種からの初期照射レーザー感知能力が向上している。機体出力も向上しているが、その分稼働時間がやや低下している。 1978年、帝国軍城内省は、麾下の斯衛軍に配備する専用戦術機の開発を光菱/河崎/富嶽の三社に命じた。だが、F-4J撃震のライセンス生産を開始したばかりの日本軍需産業にとって、独力での戦術機開発は不可能であり、純国産開発を望む城内省に対し、三社はF-4Jをベースとした改修機を提案。紛糾の末、城内省は撃震を上回る格闘性能の実現を絶対条件としてF-4改修案に渋々ながらも同意した。光菱/河崎/富嶽の三社は、欧州戦線で得られたあらゆるデータから衛士の戦訓までを徹底的に収集・解析し、装甲の軽量化と各部モジュールの再設計によって機体総重量を20%軽減、運動性・機動性の向上を図る改修案をまとめ、79年より開発が開始された。81年に完成した試作機は各種トライアルにて良好な成績を残し、翌年、82式の制式番号と「瑞鶴」の愛称を与えられ、部隊の引渡しが開始された。 肩部装甲ブロック内にマルチディスチャージャーを装備しており、アニメTEでは対レーザースモーク弾の発射に使用された。 カラーリングは搭乗する衛士の出自を表しており、冠位十二階と同じく濃淡6色の12色が存在する。地位の高い順から、紫(将軍)・青(五摂家)・赤(五摂家に近い有力武家)・山吹(譜代武家)・白(武家)・黒(武家以外の一般衛士)と色分けされている。また紫から山吹色まではグロス、白黒はマットに塗装されている。 戦場において機体の識別を高めている理由は、第一にBETAには迷彩効果が確認できないこと、第二に兵士及び衛士の士気を高めること、第三に衆人環視の状況によって、その衛士が担うべき責務に反するのを抑止するためである。 武御雷(たけみかづち) 00式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE00) 帝国軍のうち、将軍家直属である斯衛軍が、F-4J改 瑞鶴後継機として開発させた、純国産の第三世代戦術機。94式戦術歩行戦闘機 不知火の開発によって培われた技術を応用し、上位互換機として富嶽重工と遠田技術によって共同開発された。不知火よりもさらに進んだ第三世代戦術機である。通称“零式”。 外装はほぼ新規設計、にも関わらず僅か7年で量産試作機が完成、実験部隊に引き渡され6機種の成熟が行われた2年後の2000年に配備が開始された。 ずば抜けた機動性と運動性能を持つが、性能を最優先にしているため年生産数が30機程度と非常に少なく、また整備性も良くない(陸軍が高性能機である00式の採用を諦めた理由はここにある)。 日本製戦術機の特徴として、長刀による攻撃を重視しているという点があるが、武御雷は特にその能力に秀でている。加えて固定兵装として、前腕外側部に隠し爪的な00式近接戦闘用短刀を手首側1、肘側2、左右合計6振装備し、前頭部大型センサーマスト・肩部装甲ブロック両端外縁部・前腕外側部外縁・前腰部稼働装甲外縁などの他、マニュピレータ指部先端、足部先端、踵部先端といった全身をスーパーカーボン製ブレードエッジ装甲により鎧っており、これらにより近接密集戦において圧倒的な攻撃力を誇り、究極の近接戦戦術機とも言える性能を獲得した。しかしながら、これらの採用は逆に生産・運用コストの増大とメンテナンス性の低下を招く一因ともなってしまった。 1991年瑞鶴の後継機選定を開始し、92年に斯衛軍次期主力機開発計画「飛鳥計画」がスタート。98年量産試作機が完成、その後、4機種の派生型の熟成に2年の歳月を費やして、2000年から配備が開始された。01年時点では斯衛軍の規模が小さいとはいえ配備数が足りず、最精鋭を誇る第16斯衛大隊の他、政威大将軍と五摂家直属の警護部隊として置かれる独立警護小隊、新兵器開発運用試験を行う中央評価試験中隊(通称:白い牙・ホワイトファングス)のみに集中配備されている。
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大日本生産党(だいにほんせいさんとう)は1931年に結党された「国粋ファシスト」の政治団体。 概要 当初は黒龍会大阪支部長の吉田益三が提唱し、玄洋社系の内田良平の賛同を得て大阪中央公会堂において結成された。その後、1931年(昭和6年)11月20日、玄洋社系の頭山満・内田良平等の黒龍会の主な構成員、日本国民党、津久井龍雄の急進愛国党などが合同し東京の赤坂の「三会堂」において結党式を行った。約1500名が参集した。本部は当時の東京市麹町区永田町に置かれた。1932年(昭和7年)1月には愛国急進党、大衆党長野県連の秦数馬の一派、大日本帝国陸軍大阪労働組合、横浜自治革正党などが解消・入党し勢力を拡大した。 多くの国家主義団体は上部構造偏重であったが、大日本生産党は大衆に密着し、党員2万人を称していた。 しかし、1933年(昭和8年)7月の神兵隊事件において青年部員が多数連座し検挙され、さらに内部対立の影響もあって党員数は減少。1942年(昭和17年)6月には政治団体としての性格を持たない思想団体・大日本一新会に改組された。 機関誌 機関誌は「改造戦線」「興民新聞」の2誌。「打倒政党政治」のスローガンを掲げる。 1932年(昭和7年)5月15日の犬養毅総理大臣暗殺事件(五・一五事件)に際しては「声明書」において「政、民両党が国家を害した公憤の激成」として擁護した。 政策 亡国的資本主義経済組織の根本的改革 生産者立国の国家統制 我利的金融の寄生虫、政、民両党絶対排撃 国賊共産党、全協、亜流共産主義党、社会民主主義打倒 阿久津事件 1931年(昭和6年)12月、栃木県阿久津村で全農組合員・全国労働大衆党員らの小作争議に反対して暴行を重ねた。小作人側はこれに対抗して竹槍・日本刀での大乱闘となり、1932年(昭和7年)1月9日、大日本生産党の党員17名が殺傷された。 「全国労農大衆新聞」1932年1月13日号外。 参考文献 日本陸軍砲兵中佐久保田鉄蔵・永松浅造『昭和大暗殺秘史』芳山房、1932年10月。 出典 関連項目 天皇制ファシズム 皇国青年党 浪人会 右翼 右翼団体 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年5月17日 (土) 08 56。
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フレデリカ公国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約 フレデリカ公国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約(ふれでりかこうこくとだいにほんていこくかんのわしんならびにきほんてきかんけいにかんするじょうやく)とは、箱庭暦739年に署名された、フレデリカ公国と大日本帝國との間の条約。批准は786年に完了。通称、日赫基本条約、日赫和親条約など。特命全権大使の交換にはじまる国交開設や国民間の相互出入国を認めた。条約は、日本語及びフレデリカ公国で二部づつ作成され、それぞれの外務省に保管されている。 1.条約の内容 条約は、前文と全6条からなる。第一条で両国の平和的関係を確認しており、相互の領土を承認したものとされる。 第五条において、フレデリカ公国の永世中立に関する規定として、日本並びにフレデリカ側が守らなければならない規定をおいてある。 2.歴代特命全権大使 2-1.フレデリカ公国駐箚大日本帝國特命全権大使 初代 大石良夫 2-2.大日本帝國駐箚フレデリカ公国特命全権大使 初代 侯爵 Klaus Gerd von Speicher(クラウス・フォン・シュパイヒャー) 3.条約正文 フレデリカ公国と大日本帝國間の和親並びに基本的関係に関する条約 フレデリカ公国フレデリカ女大公殿下並びに大日本帝国天皇陛下は、互いの和親を確認し、同国間の基本的関係を創設並びに確認するために和親並びに基本的関係に関する条約を締結するに決し、このために以下の者を全権委員として任命した。 フレデリカ公国フレデリカ女大公殿下 国務省東アジア局局長 侯爵 Klaus Gerd von Speicher 国務長官 公爵 Prairie de Devant 大日本帝国天皇陛下 枢密顧問官 従二位勲三等 奈良秀次郎 外務大臣 従三位勲四等 伯爵 小村洋右 右各全権委員は互にその全権委任状を示し、有効なるものであると認めたる後以下の如く協定した。 第一条 両締約国は両国間に平和及友好の関係を維持し、相互の関係においては信義誠実の原則を指針とするものとする。 第二条 両締約国間に外交関係が開設される。また、両締約国は、両国政府により合意される場所に大使館を設置する。 二項 大使館の設置場所に関しては別に定めるものとす。 第三条 両締約国は、文化が民族の精神的基礎にあることを確認し、これがために互いの文化を尊重し、両締約国国民は相互に交流を増進する。 第四条 両締約国国民間の出入国並びに滞在に関しては、両締約国の定める法律に基づき以下の条件に適合する査証を認めるものとする。 1号 商用査証 2号 観光用査証 3号 家族滞在用査証 二項 以下の条件に適合する査証の発行については、国務長官、外務大臣並びに査証の発行に関する権限を有する責任者による許可を必要とする 1号 就学用査証 2号 就労用査証 三項 両締約国国民の、一方における滞在に関しては、当該国当局の指導に従わなければならないものとする。 第五条 大日本帝國は、フレデリカ公国臨時議会が箱庭暦500期に採択した永世中立政策につき承認する。フレデリカ公国は、今後何れの国家とも軍事上の協力を行う旨のいかなる協定を締結せざること、他の国家の間のいかなる戦争に対しても中立を守り、いかなる国に対しても戦争に訴えざることを条約上の責務として了承する。 第二項 大日本帝國は、前項の規定を保障するため、フレデリカ公国に対して戦争に訴えんとする国家の発生したときは、これに対して戦争に訴えざることを積極的に要請する条約上の責務を負うことを了承する。 第六条 この条約は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにフレデリカ公国ベルンで交換されるものとする。この条約は、批准書の交換の日に効力を生ずる。 上証拠として各全権委員はフランス語、ドイツ語及び日本語を以てせる本条約各二通に署名調印せり。 箱庭暦739年、東京宮城内三の丸枢密院第三会議室に於て之を作成す。 フレデリカ公国のために; 国務省東アジア局局長 侯爵 Klaus Gerd von Speicher 国務長官 公爵 Prairie de Devant 大日本帝國のために; 奈良秀次郎 伯爵 小村洋右
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概要 氷山大日本帝國連邦(こおりやまだいにほん/にっぽんていこくれんぽう)、または氷連(ひょうれん)とは、 東アジアに位置する日本列島の京阪神及びその周辺と瀬戸内海・日本海に浮かぶ島々からなる立憲君主議会制連邦国家である。